2002/航海日誌
1981年3月の顔
師走に向けて…(12・14)

雪が降ったり、年末に向けての演出も豊かになりました。(@^^@)

そろそろ今学期の締めくくりの季節ですが、なんだか…緊張感が徐々にほぐれて、期末考査の勉強にも身が入りませんなあ…。昨日はわが西江大学新聞放送学科大学院出身の先輩連中による論文発表と交友会がありまして、夜遅くまで騒いでおりました。今回論文を発表した諸先輩がたは他校で教授として教鞭をとる方々ですが、だいたいわたくしと同じ歳かあるいは私より若い。したがって、年齢が社会的位階制度に大きな比重を占める韓国では、私がいかに後輩と言えども年上となると接し方がまったく違ってくるのでおもしろいです。お互いに年齢データを交換すると、いままで先輩あるいは教授として見ていた相手の顔が妙に若く、時には幼く見えるもんですなあ。(@^^@)

私は二次の酒の席を終えたところでリタイアいたしましたが、おおかたは三次のカラオケへ向かったと聞いております。師走に向かって師はもちろんのこと、師でもない私もあわただしくしております。

観劇日記 『第12回韓日ダンスフェスティバル』シアターゼロ(11・05)

12回目の韓日ダンスフェスティバルが弘益大学校洞前のシアターゼロで開催された。先週、国立劇場でのサルバニラの公演を見逃したので、シアターゼロで拝見。残念ながらサルバニラは30分という持ち時間の中ではその真髄を発揮できず…、今日の公演では女性舞踊家の北村成美が一番おもしろかったなあ。

舞台が終わるとお約束の宴会。シアターゼロの代表沈哲鍾を先頭に小屋の近所の焼肉屋をめざす。モクサルにカルビにテヂカルビの盛り合わせをごちそうになる。宴席でサルバニラの代表と話をして、彼が駱駝出身であることを知った。92年から参加したというから、ちょうど僕が駱駝を離れて韓国に漬かっていた頃に駱駝で踊っていたことになる。懐かしい話ができて、今日はいい日でした。それにしても、夕方に院の同期と焼肉パーティをやって、そのあとでまた焼肉を食って…。太るなあ、きっと。

観劇日記 『ヘンリー4世』ソウル市劇団(11・01)

ご存知シェイクスピアの『ヘンリー4世』を、ソウル市劇団が世宗文化会館小ホールで上演。うちの学部学生、李チョンシンをつれて見物に行く。公演初日の今日は関係者・招待客・学生団体客で満席となった。舞台美術は丁寧で、若手演出家キム・グァンボが演出を担当したせいか、軽快な仕上がりになっていた。

芝居が長丁場になると考えて、見物前にチョンシンと食事。ひさしぶりにスパゲティを食べたくなってポンパドールへ向かうが、なんと店の外にまで客が列をなして席の空くのを待っているではないか。スパゲティの吟味はこの次にして、すぐそばの焼肉屋へ入り、えのきとしめじのたっぷり入ったポソプルコギを食べる。うまいんだけど…、やたら甘いなあ。この手の韓国料理は全体に甘くなる傾向がはっきりしてますな。う〜ん、ちょっと甘すぎるよね…。

マックでハングル(11・01)

マッキントッシュでのハングル使用に関する問い合わせメールが、今年に入ってずいぶん増えてます。もうMacOSはXの時代になってKorean Language Kitは用済みかと思っていたのですが、まだまだ使っている方がいらっしゃるようです。そのような方々から問い合わせのメールをいただくことはたいへん楽しいものです。ただ、岡本はソウルへ移る際にマックをすべて処分したので、問い合わせの内容によっては即答できないものもあります。そのうちマックを調達してOS9をインストールし、未完成のままにある「マックでハングル」を完成させたいです。

また、MacOSXでのハングル使用がどのようになっているのかも知りたいですね。いくつかの問い合わせメールから、MacOSXでのハングルの扱いがどのようになっているのか想像はできるのですが、実際に見たことも触れたこと無いので…。MacOSXの基盤となったNEXTSTEPでは日韓語を使用することができましたが、ひとつのドキュメントでの混在は不可だったと記憶しています。こんなとき、手許にeMacが一台あれば楽しめそうなんですが。

観劇日記 『月曜日、午後5時』劇団蜃気楼万華鏡(10・20)

せっかく大学路まで出てきたもんだから、久しぶりに芝居のはしごをしました。『黒いコムシン』を上演したアルグァヘク劇場のすぐそば、劇場アリランで、この春にピョン・ユヂョン嬢から見に行くようにとすすめられていながら見逃した作品『月曜日、午後5時』を拝見。

中年にさしかかったボクサーと、その周辺の人々が綾なす日常のひとこま…でしょうか。ボクサーにとって「中年」というのはかなり恐怖に近いものがあるでしょうが、こちとらもいつのまにやら中年後半の真っ只中…。身につまされますなあ。主役のさえないボクサー役が良かったです。秋から冬に向かう日曜の午後、芝居の二本立ても良いもんですな。

観劇日記 『黒いコムシン』実験劇場(10・20)

劇団民芸の女優で古い友達である金希庭(キム・ヒヂョン)から誘いがあって、ヒヂョンが下女役で出ている実験劇場(シロムクッチャン)の新作『黒いコムシン』を見た。

コムシンとは日本語で言う履物のことで「ゴム靴」と訳せばいいのだろうか。形は韓国の伝統的な履物の形をしているが、素材がゴムなのでおそらく20世紀に入ってから普及したものでしょう。話は日帝下の韓国、あるコムシン工場で起こる事件をえがいたもの。登場人物は工場主と作業員、現場監督のような立場にある男と工場主に仕える下女。作家は芝居畑ではなく、テレビなどの放送作家だという。なかなか緻密に作られた作品で、面白く拝見した。ピョン・ユヂョン嬢を誘って見に行こうとしたが、彼女はいま芝居の稽古が佳境に入っているとかで一人で見ることになった。

観劇日記 『Dancing at Lughnasa』劇団76(10・13)

劇団76は若手演出家ハ・イロの演出で、アイルランドの作家Brian Frielの作品『Dancing at Lughnasa』を上演。1930年代アイルランドを舞台にした作品で、清貧という言葉がぴったりの暮らしを営む5人姉妹が時代の移り変わりに取り残されていく話。上演時間が3時間という長丁場は、近頃主流の90分程度のお手軽な演劇とは一線を画したいという演出のたくらみ。むかしはテント芝居で3時間半という長丁場をこなした私には、これしきのこと、なんといふことはない。楽日のマチネとあって劇場は満席。劇団76では稀有な写実主義演劇でありました。

マチネのあと、劇団76の主席演出家奇國敍とイッパイやりに小屋を後にする。東崇アートセンターの前を抜けたところで、奇國敍が知人とでくわす。崔先生と玄先生という、やはり演劇関係の人士。國敍といっしょにそちらと合流することになり、すぐ目の前のハルラサンという焼肉屋へそそくさと入る。この焼肉屋、見かけは若向けのどうみても味で勝負という雰囲気ではなかったが、これがけっこううまかった。久しぶりに焼肉盛り合わせを堪能。とちゅうからソウルへ遊びに来ていたチン・キョンオクも合流し、國敍との旧交を温めて盛り上がる。

方針変更!『韓國演劇史』を優先して翻訳(10・06)

韓国演劇に関する文献をいくつか翻訳してみて気が付きましたが、「演劇年鑑」コーナーに掲載している"文芸年鑑"(韓國文化芸術振興院発行の年鑑)の演劇史関係の記事は、そのほとんどが李杜鉉氏の「韓國演劇史」を出典としていました。ならば文芸年鑑の記事よりもこの「韓國演劇史」を先に翻訳したほうが、より正確に韓国演劇を把握できるのではないかと考えます。そこで「演劇年鑑」コーナーは一時翻訳作業を中断し、李杜鉉先生の「韓國演劇史」の翻訳に取りかかることにしました。ただし翻訳作業は各章を任意の順序で行います。なぜならば初期演劇の項には漢字体の韓国語が多く含まれており、それらの解読に時間がかかることと、必ずしも年代順に読み進まなくても、その時々の演劇状況は把握できるだろうと思うからです。どうぞお楽しみに。

観劇日記 『第7回アジア一人劇祭』公州民俗劇博物館(10・05)

公州にある民俗劇博物館で7回目のアジア一人劇祭を見に行った。今回のテーマは「アジアの音と動き」となっており、出し物は一人芝居にこだわらず、舞踊や器楽演奏などを幅広く紹介していた。日本から大挙して演技者が来ており、顔見知りも少なくなかった。全州での「散調フェスティバル」を見ての帰りに寄ったものだから、会場へは3時間ほど滞在しただけ。夕立に追い立てられるように、会場を後にしてソウル行きのバスに乗った。時間が許せばゆっくりしたかったなあ。

民俗劇博物館は韓国の民俗劇研究家である沈雨晟氏が作ったもので、公州の街外れの山を生かして1996年に完成。そもそもアジア一人劇祭は1983年に長野の飯田市で始まったが、その後何回か場所を変えて行った後、公州に民俗劇博物館ができてからはもっぱらこの場所を使うようになったようだ。当初はアジア域内の「一人芝居」の紹介を主な任務としていたはずだが、今回の主題を見るところでは拡大解釈して、アジアの諸般芸能の紹介を行うような方向性に変化している。この催し物もあちこちで開催されている○○演劇祭に見られるように、なんでもかんでもというスタンスで徐々に独自色を失っていくのか少し心配だ。

観劇日記 『ハイナー・ミュラーを読む』シアターゼロ(09・28)

弘益大学校前にある劇場シアター・ゼロで、ドラマリーディングがあると聞いて出かけていった。紹介作品は『ハムレット・マシーン』で有名なハイナー・ミュラーの未紹介作品で、約30分のものを2作朗読した。役者が素で出てきて物語るわけだが、本舞台とはまた一味違う雰囲気でこういうのもなかなか良いなあ。今後、何回かこの企画を連続して試みるというのでしばらく楽しめそう。

夕立の後の弘益大学前をうちのガッコの女学生趙アラと散策し、小さなアイスクリーム屋でアイスクリームを食べながら四方山話。アラは宿題に追われて今日の舞台を見逃した。また何か見に連れて行ってやろうと思ふ。それにしても、土曜の夜の弘益大学前は若者でいっぱいだな。

秋夕(09・21)

秋夕と書いてチュソクと発音します。いわゆるお盆です。秋の一大イベントで、まいとしこの時期は多くの人が祖先の霊を祀り里帰りします。学校は帰郷する学生たちのためにバスを手配したり、先生は午後の授業を午前に切り替えて、里へ下る学生たちの便宜を図ってくれます。午後になると学友たちは「よい連休を」「良いチュソクを」と、ひとりまたひとり言葉を残しながら研究室を退室していきます。田舎へ帰る学生たちを見送るのもなんとなくいい雰囲気ですね。そんな中で、私は教授から「チュソク連休を楽しんで」くれと言う言葉とともに受け取った50ページもの英語資料を持ったまま、途方にくれるのでありました。

明日から新学期(09・01)

しとしとと雨が降り続いています。時には晴れ間も見えるのですが、肌寒い雨が降り続いて、秋の訪れを感じさせます。今年の夏は中途半端な暑さでしたが、そのかわりというわけでもないでしょうが、今年の冬はなんだか本格的に寒くなりそうな気がします。

明日から秋学期が始まります。今回の大学院生活で一番大切な、そして一番意忙しい季節になりそうです。というのも、来年の新学期が始まるやいなや総合試験と英語の試験を受けることになっているからです。総合試験は院で学んだ三つの必修科目と選択科目をひとつ試験することになっており、これに受からないと卒業できません。英語も碩士(修士のことです)過程での必修ですから、この試験に受からないと卒業させてくれません。うーん、大変ですぅ。

観劇日記 『道の上の家族』国立劇場(08・27)

評論家韓相武謳カのお誘いで、国立劇場に芝居見物。国立劇団が若手育成の目的で、一挙に3作品を南山の国立劇場星劇場で上演するといふ。今日はその最初の作品で、若手女流作家チャン・ソンヒの『道の上の家族』を上演。この作家は韓国の戯曲のなかではちょっと変わった味を持っているので、機会があればじっくり話をしてみたいですな。

例によって、芝居見物のあとはお決まりのお食事。本日は新村でふぐの辛い鍋、「ポンメウンタン」をご馳走になる。食事をしながら韓先生と演劇のことや、昔の新村の町並みの話などを交わした。韓先生は延世大学校のご出身で、先生が入学する2年前までは昔の名称である延禧専門学校だったらしい。先生が1956年に入学したときは、延禧大学校となったというからセブランスとくっついて延世になったのは最近のことなんだな。当時西大門あたりから新村へはバスの通れる道が無かったとかで、先生は東大門のご自宅から西大門ロータリーまで電車で行って、そこから一時間ばかり歩いて通ったとか。

観劇日記 『韓国パフォーマンス30年』シアターゼロ(08・25)

弘益大学校の門前町、弘大前は新村に負けず劣らずの若者の街。今日はここ弘大前のシアターゼロで「韓国パフォーマンス30年」という出し物を拝見。久しぶりにシアターゼロへ行くと、小屋には見知った顔が何人かいて挨拶と近況報告。友人であるソリヂット発電所をはじめいくつかパフォーマンスを拝見して、夕暮れの近づく弘大を後にする。

観劇日記『ウリナラ ウトゥリ』演劇院劇団(08・24)

韓国芸術総合学校演劇院にトルゴヂという劇団が生まれました。このトルゴヂの創団公演を芸術の殿堂自由小劇場で上演。西江語学センターに通うT氏と、同じく西江大学の交換留学生B嬢といっしょに拝見。作演出は演劇院院長の金光琳(キム・グァンニム)氏で、演劇院の総力結集という雰囲気でした。

さて、演劇鑑賞の後はお約束のお食事であります。観劇の後、T氏を先頭に我々3人は地下鉄5号線は踏十里のカモ屋へ、ソグムグイ(塩焼き)を食べに出動。T氏がカモ塩焼きのために集めた人員は総勢5人で、残る2人が現地集合とか。「なにしろ一皿に盛られたカモの量が半端ではない」とのことを現物を見て納得。さて、5人そろったところでカモ退治が始まる。健啖家で酒豪のT氏を筆頭に、粛々とカモをたいらげ無事責を果たす。新村へ河岸を代えて、コーヒーを飲みながら話の続き。たまにはこんなのも良いもんですな。

夏休みももうあと少し…(08・16)

長かった夏休みも五分の四が終わり、あと二週間もすれば新学期です。この夏休みを利用してウェブの改訂作業をすすめようともくろんでいたのですが、思うようには行きませんね…。特に日韓演劇交流年譜の韓国語ページが中途半端で、翻訳の間違いもそのままでページの更新が止まってます。なんとかしたいと思いつつ、しかし来学期の授業のための予習や、先学期に学んだことの復習などでもう目一杯。あ、それに夏休みですから遊ばなくてはなりませんし。あと二週間、ちょっと活を入れて頑張りますかの。(@^^@)

観劇日記 『春川国際人形劇祭』(08・13)

キム・ミニからの誘いで、春川国際人形劇祭を見に行きました。春川人形劇祭は今年で15回目を迎えるそうで、5年前からは祝祭劇場という客席数500の専用劇場を中心に開催されています。日本からも参加劇団があり、韓国語で『王様の耳はロバの耳』を上演してました。

久しぶりに春川へ足を伸ばしたので柳鎭奎と会う。人形劇際の会場まで車で迎えにきてもらい、彼の案内で春川マッククスを食べに湖畔の「マダンマッククス」へ。ピンデットクもあわせて注文し、久しぶりのマッククスにキム・ミニと舌鼓を打つ。湖水に浮かぶ中島(チュンド)は、13年前に寄った時は船に乗って渡ったが、今は橋がかかり島ではなくなっていた。ソウルへ戻って、ミニと倉洞でビールを飲みながら四方山話。仕事のことや演劇のこと、あるいは学校のことなどで4時間ほど話し込んだか…。春川へ居た時間よりビールを飲んでいた時間のほうが長かったなあ。

観劇日記 『居昌演劇祭』(08・02)

2年ぶりに慶尚南道居昌(コチャン)のコチャン国際演劇祭へ行ってきました。居昌郡は伽揶山や知異山などに囲まれた内陸部の小都市で、市街の西側を流れる川が風景に潤いを与えています。その居昌郡庁からシャトルバスで30分ほど山のほうへ向かったところにある名勝地「捜勝台(ススンデ)」が演劇祭の舞台です。今年は参加団体の数も増えて、ますますにぎやかになっていると言います。一日だけの滞在だったのでソウルに本拠を置く劇団スレムデとロシアの劇団の、二つの作品を拝見しました。ロシア劇団の公演は午後10時からでしたが、客席はなかなかの盛況で、遠く韓国まで来た甲斐があったことでしょう。

今回は朝一番でソウルを出発し、午後は居昌の街を散策しました。それほど規模が大きいとは言えないまでも、味わいのあるシヂャン(市場)があり、通りは活気にあふれていました。昼食にスンドゥブを食べましたが、ソウルとは違ってあっさりとしたしあがりで、これがコチャンの味なのかなあと思います。5000ウォンのスントゥブはなかなかお目にかかれないので期待しておりましたが、まあ…いろいろおかずもついて納得の一品かな。(@^^@)

観劇日記『ロベルト・ズッコ』(07・28)劇団76

久しぶりに劇団76の舞台を拝見。フランスの劇作家ベルナール・マリ・コルテスの作品『ロベルト・ズッコ』を、西江大学語学センターの語学生であるT氏を連れて、大学路は東崇アートセンター小劇場へ見に行きました。劇団76の舞台は久しぶりで、相変わらず舞台は何の装飾も無く殺風景ですが、なかなか気合の入った良い作品でした。演出の奇國敍(キ・グクソ)は昨年、ソウル市劇団による『旅立つ家族』を演出してベセト演劇祭に参加した中堅演出家ですが、自身の劇団である76では久しぶりの演出作業だと記憶しております。この作品は奇しくも文学座が先月上演しており、作品に関してはそちらのウェブサイトに詳しい。ベケット好きの奇國敍が目をつけた作家なので、作品は難解でっす。また見に行こうっと。

暑中お見舞い申し上げます(07・24)

夏休みに入り、父母に挨拶をするために日本へ一週間ばかり里帰りしておりました。盛夏の奈良はとても蒸し暑く、これぞ夏!という感じで、奈良の蒸し暑さに比べたらソウルの夏なんてぇかわいいもんですな。まるで高原の、避暑地のようなもんですよ。大学の友人がひとり日本へ遊びに来たので、彼女を連れて神戸や大阪、そして京都を散策しました。京都では気温37度という暑さの中、清水寺から京都大学を経て銀閣・金閣などをまわりましたが、彼女は日本の夏がこれほどまでに暑いとは思わなかったそうな。私も久しぶりにあっつ〜い夏を堪能しました。しかしソウルへ戻ってみると…さすがに梅雨時ですな、ここも相応に暑いです。さあ、気合を入れて夏を乗り切りましょうぞ。

観劇日記『ゴドーを待ちながら』(07・17)劇団サヌリム

ご存知ベケットの作品をサヌリムの林英雄(イム・ヨンウン)が演出した、劇団サヌリムの看板?作品です。何年か前に東京で公演を行い、たいへん評判が良かったとかで、昨年はベセト演劇祭の一環として、静岡で上演されました。

うわさの『ゴドー』を、わが西江大学の語学センターに韓国語を学ぶT氏と一緒に拝見しました。芝居見物の前に新村で落ち合ってプデチゲで食事、その席でマッコリをいただいたのがよく効いて、上演中はほとんど寝ていました。歳ですなあ…。それにしても、上演時間2時間半はけっこうきつかったです。新村ロータリー南東角、ウリ銀行裏の飲食店街の一角にあるハルメチプ。ここのプデチゲは御一人様4000ウォンでなかなかいけまっせ。

観劇未遂日記『乱打』(07・11)ナンタ専用劇場

この春に西江を卒業したアン・ヂソンといっしょに『乱打(ナンタ)』を見に行くことにして、光化門のナンタ専用劇場で待ち合わせ。いまナンタの見物客は外国人観光客がほとんどで、今日も日本人観光客の一団が列をなしておりました。劇場が旅行社と組んでおり、ソウル観光のコースに組み入れているんだって。ナンタ専用劇場を作るにあたって、この先10年は公演を続けることになっているらしいです。たいへんですなあ。

この日はちょっと疲れていたこともあって、芝居見物はやめてチソンと一緒に食事をすることにしました。劇場から光化門の方向へ、味のよい店が集まっている新門路を目指す。今日は豆腐料理の店でトゥブ・ヂョンゴルを食べる。チソンは日本で暮らしたこともあって日本語がぺらぺらだし、おまけに漫画とアニメが大好きなので話が合いますなあ。おっと、話に夢中になってこの豆腐料理屋の屋号を聞き忘れました。また近いうちに訪問して、あらためて紹介いたしましょう。

ADSLにして…(07・08)

ADSLにかえて日常生活の何が変わったかというと、まず第一に報道記事を良く見るようになりました。メインはヤフー・ニュースですが、このほかにもロイターなどに頻繁に目を通しております。記事の迅速な配信というよりも、関連記事を参照したりあるいは関連項目を検索したりするのがらくなので重宝します。

次にラジオ代わりにインターネット・ラジオを聞いています。70年代ポップスとか80年代ロックとか、さまざまなジャンルに分かれているのですが、さながら深夜放送を聞いているみたいです。中学生時代を思い出しますなあ。ひと夏アルバイトして買ったラジオで、よく深夜放送を聞きました。それからン十年たってあらためて聞きますと、「ああっ、この曲はこいつの曲だったのか」とか「おおっ、これが聞きたかったんよ」とか、けっこうひろいものがあって嬉しいです。ネットによる楽曲の単品廉価販売(10円/曲ぐらい)をはやく実現してほしいです。

福券買いました(07・02)

前から気になっていたポックォン(福券)を買いました。日本でいうところの宝くじですな。券面に記載された40億ウォンというのは5枚連続で当選したときの懸賞総額で、一枚あたりの最高当選金額は10億ウォンです。前後賞と前前後々賞というのがあり、5枚連番で買って全部当選すると40億ウォンが転がり込むという話。ただし、所得税・住民税などは当選者負担となっており、賞金を受け取るのと引き換えに支払うようにと裏面に記載してあります。韓国では宝くじの賞金に税金を払うんですね。日本ではどうでしたっけ?とまれ、あたると良いのですが…。(@^^@)

券面の絵柄は韓国近代史にあって忘れてはならない殉国の勇士たちです。誰だか判りますか?
kuji

追伸:最下等の6等(下二桁が一致)が3枚あたりましたので、当選金は6000ウォンとなります。一枚だけ、キムチ冷蔵庫の当選番号と末尾が5つずれたのがありました。うーん、残念…。(07/15)

観劇日記『ヨノランとセオニョ』(06・23)貞洞劇場

久しぶりにユヂョン嬢といっしょに、中区は徳寿宮裏手の貞洞劇場にて芝居見物。演技団コリペの代表、李潤澤先生の演出した歌劇であります。韓国の説話をもとにしたものとかで、舞台は芝居に歌ありダンスありでした。舞台脇で腕を振るう楽団の鳴り物がにぎやかでしたな。それにしても、サッカーで国民全体が気分的に高潮しているもんだから、舞台のちょっとした見せ場がきっかけで、すぐに「テーハンミングク」になりそうな雰囲気でした。内容はたいへん判りやすい上に、字幕であらすじを表示。外国人観光客を視野に入れた作りになっております。ソウル観光の折にはぜひ。(@^^@)

芝居の後、光化門でユヂョンと一緒に食事。世宗文化会館の裏手はけっこううまいものを食わせる店が集まっているんだが、ほとんどの店が平日の会社員相手とみえて、日曜日は閉めているところが多かった。ちょっと残念だなあ。無難なところで5000ウォンのムルレンミョンにサリをひとつ追加して、4000ウォンのマンドゥを二人で食べた。うん、まあまあ。

観劇日記『出撃』(06・19)

東崇アートセンター小ホールで、韓日公演芸術際の一環としての演劇公演を拝見。日韓両国の作家が戦争をテーマに芝居を作り、日本と韓国で上演するという趣旨です。この作品に先立って『海ゆかば』という韓国製の作品が上演されたのですが、ついうっかり見逃してしまいました。これからはこういう試みがどんどん増えるでありましょう。楽しみです。

久しぶりに東崇アートセンターのキム・ミニと会って観劇前に食事。ミニの案内でハクチョン・グリーン劇場の裏手にある韓式食堂へ行き、おすすめのウロン・テンヂャンチゲを食べる。ウロンとはなんぞいやと思いきや、ウロンイ、つまりタニシでありました。タニシのこりこりとした歯ざわりがとても良かったです。

観劇未遂日記『天守物語』(06・06)クナウカ

水原国際演劇祭でクナウカの作品を見るつもりが、地下鉄の冷房に降参。途中で針路変更して部屋に戻った。やうやうなおった風邪を、またこじらせてはたいへんですから…。

いかがです?W杯で盛り上がってます?(06・05)

31日に始まったワールドカップですが、一昨日は韓国が歴史的な一勝を上げた日です。釜山での試合をテレビで観戦していたのでしょう、洞内(トンネ=町内)あちこちから韓国人ファンの咆哮が上がっておりました。来週の月曜日に韓国対アメリカの試合があるとかで、午後の授業は休講になりました。

観劇日記『Vagina Monologue』(05・19)女性文化芸術企画他

女性問題を扱った演劇としてはかなり特異な、そして女性の内面的な部分を扱った芝居。女性性器の俗称である○○○みたいな隠語が台詞にうんと含まれる。一緒に見た院の女学生が言うには「衝撃的な内容」らしいが、衝撃を受けるにはもう少し韓国語を勉強しないとだめだな。市庁まで出たついでに徳寿宮南側の「麺ひとすじ40年」のうどんを食いたかったのだが、最近外食が続いているので今日はまっすぐ部屋に戻って食事。

観劇日記『それでも生きてみるものだ』(05・18)劇団神話

元老作家李根三(イ・グンサム)の作品を、78歳の元老役者チャン・ミノと劇団神話のアヂョシ演技者たちが作り出すしみじみとした舞台。高齢で耳も遠くなり、役者としての自信を失いかけている名優を取り巻く人々の暖かい交流を描いた作品です。うちの院生と一緒に見物し、芝居がはねた後は東大前の食堂街で食事。

ここ獎忠洞の食堂街は焼き肉や冷麺等々、けっこう味のいい店が並んでいるのだが、今日はトンカツに挑戦。東大入口駅から獎忠洞を北へ歩いた食堂街の入り口付近、左側にある「トントン」のトンカツはけっこういけます。

観劇日記『チョンヤギョン・プロジェクト』(05・17)劇団アリラン

一昨日、公演日程を消化したユヂョン嬢と、今日は劇団アリランの舞台を拝見。李朝時代の正義感あふるる小役人を描いた作品でした。小雨がぱらついたせいか客席はちょっと寂しかった。このところ劇団アリランは比較的頻繁に新作を上演しますなあ。

開演の前にユヂョン嬢と食事をした店がなかなか渋い店だったので紹介いたしましよう。東崇洞、文芸振興院の裏手を丘に向かって登ると左側、ホンガネ食堂は屋根の上の家庭式料理という看板が目印。看板どおり店の中には品書きも無く、出し物は簡単な定食のみ。3500ウォンのペクパン定食がうまかった。ぜひお試しあれ。

観劇日記『七人の道化とオイディプス』(05・14)劇団トンユー・エンタープライズ

邊ユヂョン嬢から電話があり、彼女が出演する『七人の道化とオイディプス』を拝見。ソウル公演芸術際参加作品で、オイディプス王にコロス代わりの7人の道化が絡むという新機軸?。鍾路5街にあるヨンガン・ホールでの公演。もしかしたらこの作品が、今回のソウル演劇祭参加作品のなかで一番の問題作かも…。

舞台のあとはユヂョン嬢と鍾路5街で軽くビールを舐めながら芝居の話。「ソウル公演芸術際」は「ソウル演劇祭」の新しい呼称で、昨年から演劇と舞踊をひっくるめた祝祭としたもの。演劇祭は毎年秋に開催されるのだが、今年はサッカーに合わせて春の開催にしたという。どういうわけか、ここ二年間のソウル演劇祭は盛り上がりに欠けますなあ。

5月、柳の芽が吹く(05・08)

私がはじめて韓国へ来たのは17年前の1985年、風薫る5月でした。慶福宮を訪れた折に、そこここに綿が降り積もっているのを見て不思議に思ったものです。近所に布団屋があって、そこから綿が飛んできたのかと思いました。それはそれは見事に降り積もっていましたから。

さて、その綿の正体はいったい何なのでしょう。何度か人に尋ねたことはあるのですが、どうも釈然としない。柳の木から発生するらしいことは判りましたが、ではいったい何と言う種類の柳なのか、どういう作用で芽を吹くのか、だれも明確な答えを教えてくれません。昨日、大家さんに尋ねたらそれは「コッカル」だと言う。おお、コッカルと言うんだと納得して辞書を見たら「花粉」ではないですか。どうやらここではありふれた日常現象なので、だれも意識していないみたいです。

佳境?にて(04・22)

陽川区新亭洞に引っ越して来て、そろそろふた月が経とうとしています。地下鉄に乗って学校に通う毎日は、以前の、学校の裏手のアパートに暮らして歩いて通った日々とはまた別のリズム感を与えてくれます。

陽川区(ヤンチョング)はソウルの中心部から5号線に乗って金浦空港に向い、永登浦(ヨンドンポ)を越えたところに始まります。1988年に江西区(カンソグ)から木洞(モクトン)と新亭洞(シンヂョンドン)、そして新月洞(シンウォルドン)を分離して作られた区で、広大な木洞団地がその中心になると言えましょう。陽川区の正確な人口は判りませんが、木洞団地だけでもかなりの人口を擁していると思います。

陽川区の一番の繁華街といえば木洞サゴリ(四つ角)で、この江西区時代から発達した交通の要所はたいへん充実した商店街になっています。鍾路や明洞とは異なり、ちょっと垢抜けしないところが、ここは昔は辺鄙な街だったことを思い起こさせます。木洞団地ができた頃に、そこに転居した友人を訪ねたことがありました。そのときはバスも無く新村からタクシーで来たのですが、完成していくらもたたない団地は人影もまばらで、きれいに整備された公園がなんとも間の抜けた印象を与えました。江西区は金浦へ着陸する飛行機の導入路にあたり、私の住む新亭洞の丘の上からは乗客の顔が見えるとかで、家賃が安いのは当然だという、ちょっと口の悪い友人が教えてくれました。そういえば、ときどき頭の上で飛行機の音がしますな。

しかしいまや近在の木洞オゴリ(五つ辻)や新亭ネゴリ(四つ辻)は、多くの人が往来する、それはそれは立派な繁華街です。ただ、私の暮らす新亭5洞はよく言えば静かな住宅街、悪く言えば大都市のエアポケットという雰囲気…でしょうか。ちょっともの寂しくて、以前暮らした塩里洞の雑然とした雰囲気を懐かしく感じることがあります。まだここでの生活のリズムを掴めていないようです。院での授業もそろそろリズムをつかんでいなければならない頃なのですが、これもまだつかめないようで、歯車の噛み合った爽快感と言うものを得られずにおります。

このところソウルは寒かったり暑かったり…。一日を快適に過ごすには、なんともちぐはぐな服装になります。ともあれ、春学期の半分を過ぎて、佳境に入りつつあることをひしひしと感じております。

観劇日記『動物農場』(04・10)劇団サンサン

ご存知ジョージ・オーウェルの「アニマル・ファーム」であります。いったん元のテクストを分解して、「純粋さ」「欲望」「自由」という、3つの異なる視点から三部作として描くという趣旨です。6月まで公演は続きます。我が西江大学校言論大学院の演劇クラブ「スペクタクル」の会長と一緒に大学路劇場にて観劇。

芝居のあと会長と大学路で食事して酒を飲んで地下鉄に乗ったら麻浦止まりの終電で我が家のある新亭洞まではたどりつけず麻浦で寒い中ようやくタクシーを捕まえてそのまままっすぐ部屋に戻りたかったけどタクシー代が無くて遊びに来いという友人に従って彼のアパートへ行きまた話をしながらラーメン食って寝たけど朝7時には目がさめて朝飯を食っていけという友人を振り切って部屋に戻りました。疲れて疲れて疲れて…風邪をひいてしまいました。

観劇日記『シゴルソンビ、チョウ・ナンミョン』(04・04)

シゴルとは田舎の意で、ソンビとは官職についていない学者のことであります。したがって題名の邦訳は『いなか人士チョウ・ナンミョン』となりましょうか。演技団コリペを率いる李潤澤氏の演出で、文芸会館大ホールでの上演でした。この三月に拝見した作品、『フィガロの結婚』に出演したピョン・ユヂョン嬢と、彼女がオンニ(姉さんの意)と呼ぶ先輩女優ファン・スキョンさんのお誘いで急ぎ劇場に駆けつけ観劇したものです。

このあとスキョン嬢に大学路にある安くて美味いという焼き肉屋へ連れて行ってもらい、焼き肉をごちそうになりました。さきほどの舞台に出演していた役者連中が入れ替わり立ち代わり現れて、オンニに挨拶してましたな。さてひとしきり食った後、ピョン・ユヂョン嬢とそのファン・スキョン嬢は飲み足らなかったのか、そのまま大学路から少し離れた吉音洞へ、イカの刺身を食べに行きました。タフなお嬢さんがたであります。

FISHBONEの改装(03・30)

このサイトで舞台写真を公開していた劇団水族館劇場は、この三月に劇団が直接運営するサイトが立ち上がりました。したがって、私のサイトにあるページを改装することにしましたので、作業の間しばらくリンクを切ります。

黄砂(03・23)

今年は黄沙(ファンサ)現象がたいへん強く現れているそうです。一昨日、空全体がまさに土色に染まるのを見ました。春先に見られるこのファンサという名称はここソウルでよく耳にしましたが、今回のようにはっきりとそのありさまを見たのはここに暮らして初めてのことでした。外出から戻ってシャワーを浴びたら、髪の毛から土の匂いがしました。

この現象はそもそも中国大陸の黄土が風に乗って飛んでくるものだと言います。、韓国にこれだけ強い影響を及ぼすなら、日本でも見られるに違いない。そう思って辞書を調べましたらちゃんと「黄沙(こうさ)」という項目で出ておりました。春の季語なんですね。遠い昔の幼い頃に「こうさ」という言葉を聞いた記憶がありますが、これのことだったんだなあと今ごろになって感心しております。

観劇日記『フィガロの結婚』(03・24)オペラ舞台シン

ボーマルシェの原作を忠実に再現したものでは無いが、本来作品の持つ雰囲気を感じることができ、このような上演形態によって古典の名作に触れることのできるのは良いことだと思いつつ舞台を拝見。韓国の役者は歌がうまいなあと感心していたら、本職の歌い手を呼んで公演に参加してもらっているとのことでした。このあいだ一緒に芝居見物をしたピョン・ユヂョン嬢がこの作品に出演しており、彼女からお誘いを受けて拝見いたしました。

引越ししました(03・03)

2年間をすごした麻浦区塩里洞から、地下鉄5号線を市内から金浦へ向かった陽川区新亭洞へ引っ越しました。新居は3階建て建物の1階で、大きな部屋と小さな部屋、そしてダイニングキッチンという間取りです。家主さんの好意で安く借りることができ、一人で暮らすには少し贅沢ですが、わが身の幸運を満喫しております。明日からいよいよ新学期。新居で心機一転、院での学業に励むことにします。

里帰りしました(02・19〜25)

奈良へ里帰りしました。昨年の夏以来です。旧正月に帰るつもりが、どの便も満席とかでチケットがついに手に入らず、遅い新年の挨拶になりました。お値段も上昇気味です。今回のたびでは関西へ出張に来た弟に会ったり、高校時代の友人が集まったりと、いつもとは違ったイベントがあって良い旅になりました。

さて今回の旅で一番印象の良くない思い出と言えば、国際通話の可能な公衆電話が無かったこと。厳密にいうと「テレフォンカードで国際通話の可能な公衆電話」ですが、これが大阪の梅田界隈と日本橋界隈ではまったく見当たらなかったのです。ICカード電話や小銭なら通話可能といった、きわめて不便で不快な状況に腹が立ってしまいました。今回はソウルに暮らす友人から買い物を頼まれていたので、頻繁にソウルへ電話をかける必要があったためです。

おそらく偽造カード対策とは思いますが、利用者に不便を強いる方法は納得のいかないものであり、企業努力のまったく感じられない対策に驚きました。偽造カードを防ぐてだてが無いのなら、テレフォンカードとICカードを等価で交換するぐらいの度量を見せていただきたいものです。NTTのこういう姿を見るたびに、電話債権を償還しない傲慢なやり口を思い出して、遠くソウルの地でぷんぷんしております。これって…私だけでしょうか?(@^^@)

観劇日誌『救命施食』(02・03)

先週の水曜日、忠武路は大韓劇場で映画『2009 Lost Memories』の試写会があった。日韓合作の大作とあって、主演俳優と映画関係者、制作関係者などが集い華やかだった。試写会のあとに映画のメーキング本『アナザーメモリーズ』の出版記念パーティが催されたが、この弦楽四重奏団つきの立食パーティもなかなかすてきだった。映画はちょっと退屈。アイデアはおもしろいのだけれどなぁ…。

さて、その席で知り合った演劇人のピョン・ユヂョン嬢から観劇の誘いがあり、大学路はハクチョングリーン劇場で『救命施食(クミョンシシク)』という芝居を拝見。「生者と死者がともに見る演劇」という触れ込みで、霊媒を通じて死別した夫や妻や娘との対話というエピソードが6つ。2時間あまりの芝居でしたが、相応に楽しめました。

「MT」行ってきました(02・01)

MTとは「Meeting」の略で、学生たちが泊りがけで遊びに行くことを言います。学生同士の親睦を深めるための催し物であり、頻繁に開催されますが、わたくしは今回が初参加。ソウルの近郊、加平(カピョン)の過疎の村に一泊しました。宿泊施設はかつて村に暮らした住民の建てた二階建ての洋式住宅で、新聞放送学科大学院生の同期と先輩、合わせて二十数名が参加。着いたと同時に食事のしたくが始まり、何を置いてもまずは宴会。続いて全員参加によるゲーム大会があり、それが終わるとカラオケ大会へなだれこんで、ふだんは人の住まない家が、この日ばかりはさながら不夜城の如きありさまでした。何日か前に降った雪の残る、静かな山間の村で、我々が着いた日にも雪がちらついて良い雰囲気でした。

観劇日誌『わたくしは王であります』劇団城(01・27)

水原(スウォン)に本拠を置く劇団城(ソン)が、ひさびさにソウルは南山の国立劇場で公演をおこなったもの。舞台背景は日帝統治期の韓国演劇界で、朴勝喜(パク・スンヒ)ひきいる土月会とホン・サヨンを中心に、当時の韓国劇界のようすを描いた作品。韓国演劇が日帝の干渉によって徐々に韓国民衆から引き離されてゆく時代を描いた作品だったので期待して見に行ったけどちょっと退屈…。劇団城の金代表、頑張ってください。

芝居を見終わったあと、劇場から坂を下った獎忠洞の焼き肉ストリートでサムギョプサルを食べました。このあたりはけっこう旨い店が集まっているところなんですが、この日食った店はだめだったなあ…。(@^^@)

観劇日誌『青春礼賛』劇団東崇舞台(01・18)

劇作家朴根亨(パク・クニョン)の作品で、一昨年たいへん評判になった作品。何度も再演を繰り返していたのだが、なかなか機会に恵まれず今回ようやく拝見。作品にははっきりとした起承転結といったものは無く、若人の悶々とした日常を淡々と描いた作品。同じく朴根亨の作品である『代代孫々』より清清しくてよかったと思ふ。大学路はハクチョンブルーでの上演。

大学の学友、申旻m(シン・ミンギョン)と芝居を見物し、見終わってから東崇洞でスンドゥブを食べた。旻mはこの3月から休学して、英国に一年間英語演習に出かけるという。当面はエジンバラで語学学校に通い、エジンバラ演劇祭と夏にはアビニョン演劇祭も見に行く予定と言う。うらやましひのう。

暖冬異変(01・17)

いまソウルは異常気象です。一月の気温が零下にならないのはン十年ぶりのことという話です。おかげで昼間ならばTシャツにカーディガン、そしてジャケットという軽装でもすごせますし、大学図書館への坂道を元気いっぱい登っていくと、図書館へ着いたころにはうっすらと汗をかくほどです。しかし、さむーい冬にこそ韓国に暮らす楽しみがあるというもの。ちょっと物足りませんなぁ。(@^^@)

謹賀新年(01・01)

2002年、あけましておめでとうございます。昨年は大きな災いが降り注ぎましたが、本年こそは善き一年となりますことを祈っております。

当サイトも運営を開始してから6年目を迎えます。この間、サイト運営の中心はコンピュータ関連の話題から、演劇と舞踏を中心にしたものに移ってきました。今年も韓国演劇に関するページを、なおいっそう充実させるつもりです。もちろんマッキントッシュにはまだまだ関心を持っておりますが、MacOSXでの多国語の扱いを調べようにもいまは手許にマシンが無く、「マックでハングル」は当分の間は休業状態を続けるようです。

それでは皆様、2002年を力いっぱい生きることとしましょう。
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© 岡本昌己/OKAMOTO masami