2008/航海日誌
1981年5月年の顔
観劇日誌 21 劇団木花『マクベス』国立劇場(12/23)

呉泰錫ひきいる劇団木花の中国公演凱旋上演。木花によるマクベスの上演は昨年の南山ドラマセンターに続いて二回め。それにしても、先週の『ロミオ&ジュリ』が終わって二日空けての公演で、役者はなかなか大変だったと思う。初日の幕開きが30分遅れだったのはよく頑張った証拠?

今週の舞台は先週とがらり変わって色彩の豊富な舞台だった。前回の『ロ&ジュ』では設置されていなかった「ころがし」が舞台手前と中央中段に仕込んであって、それがおどろおどろしい場面の演出にひと役買ってました。また主要なアクションが舞台中央で展開されるので、集中できて良かったです。ドラマセンターではあちこちで、同時多発的にアクションが起きたので散漫な雰囲気でしたが。この舞台の見どころは気の弱いマクベスを励まし?て王を殺させるマクベス夫人の演技ですが、役者は前回と同様、なかなか豪胆な女傑を演じておりました。

ただ、こんかいはたんにシェイクスピア作品を演出してみたというだけで、『ロ&ジェ』のように呉泰錫ならではの解釈というものは見出せませんでした。さて、今年はこれで舞台は見納めですな。来年はもっと頑張ってたくさん見ますぞ。

観劇日誌 20 劇団木花『ロミオとジュリエット』国立劇場(12/17)

呉泰錫ひきいる劇団木花の中国公演凱旋上演。ごぞんじシェイクスピアの作品を韓国風にアレンジしたもの。場所は南山の国立劇場ハヌル劇場(屋外)。ハヌル(青天)かと思いきや、可動式の天蓋を閉めて暖房が効いてうつらうつら…。

この作品は1970年ころだったか映画で広く喧伝されて、「愛し合ってはいけない仲なのに、愛し合ってしまった二人は…」という筋書きだというのはうっすらと知ってはいるが、いかんせんホンモノを見ていないので比較のしようがありませんな。今回の作品もおそらくこの基本構造は『ロミオとジュリエット』のそれそのままだろうと思うのだが、舞台は完全に韓国風になっており、ラストのちゃんばらでは敵も味方も王も神父も皆殺しの惨劇で終わります。どうやらこれは「愛し合ってはいけない仲」を作り出した構造を徹底的に破壊しようという意図のように思えます。呉泰錫の作品にはいつも韓国戦争(朝鮮動乱)の影が付きまとう。

ソウルの雪景色(12/7)

年内にこれだけ雪が降るのは珍しいです。今年の冬は例年より寒くなるのでしょうか。写真は地下鉄2号線梨大駅近くのオクタッパンから老古山(ノゴサン)方向を撮ったものです。

ところで屋塔房(オクタッパン)は寒いと世人は言いますが、この部屋は作りがしっかりしているのか、今のところさほどのことではないです。しかし昨日はベランダのホースが凍ったし、吹きさらしなので「凍る」危険はつきまといますな。そこで昨日、台所の外壁に這わしてあるパイプを保護しようと断熱材を買ってきました。そして今朝、よ〜く見たらそれはガス管でした。

観劇日誌 19 『かもめ』芸術の殿堂(11/9)

チェーホフの『かもめ』を拝見。「芸術の殿堂」の創立20周年記念行事で、演出をロシア人のYury Butusovが担当。「医大生だったチェーホフが学費稼ぎに書いた作品」を当時の観客がどのように受け入れたのか…を想像しながらの演出と拝察しました。あちこちの演劇雑誌などで見る『かもめ』の舞台写真などから得た印象とはなかり違う“かもめ”になってました。「四幕の喜劇」というサブタイトルの現代的解釈か?

観劇日誌 18 『西安火車』劇団ムルリ(10/22)

『西安火車』は副題を「西安に向かう汽車」と言います。2003年の初演時に絶賛された作品で、こんかいは劇団創団10周年記念として4回目の再演となります。作・演出は劇団ムルリの代表である韓泰淑(ハン・テス)氏で、彼女は1995年に東京で開催されたベセト演劇祭で『徳恵翁主』(鄭福根作)の演出家でした。10年まえに自前の劇団を作ったわけですが、韓国では注目を集める女流演出家です。

観劇日誌 17 『銀世界』劇団美醜(10/15)

今年は「韓国演劇100年」だが、その起点となっているのは1908年の李人稙(イ・インヂク)作『銀世界』の上演。今回の作品はその李人稙の回想シーンと、彼が『銀世界』の上演のために俳優として起用した広大(クァンデ)たちの練習風景を交互に織り交ぜた舞台。もともとパンソリを演じていた広大たちに新式芝居の台本を与えて練習させるのだが、どうしてもパンソリ調になってしまうのが笑わせどころ。美醜の役者は韓国伝統舞踊や伝統楽器の演奏をそつなくこなすので、こういう話は得意。けっこう楽しめました。台詞の中に「カベチャを飲む」というのがあったが、このカベチャとはきっと珈琲のことに違いない。つまり「珈琲(カフェ)+茶(チャ)」が「カベチャ」になったのだと思う。どなたか真相をご存知の方、ぜひ教えてください。

観劇日誌 16 『ジョバンニ』劇団青羽(10/14)

原題は『ジョバンニの父への旅』。別役作品に韓国の中堅演出家金洸甫(キム・グァンボ)が挑戦。小屋は新村と弘大のあいだに位置するサヌリムで、全体的に奥行きのないうえに客席の傾斜がきついサヌリムの客席構造は、この作品にはちょっと合わないかなという印象を持ちました。この作品は(正確に言うと今回の演出は)劇場構造ではないフラットな空間、あるいはもっと傾斜のゆるい小屋で見たほうがぐっと迫ってくるのではないかという感じがします。日本ではどうだったのでしょうか。韓国の演出家によって演出された別役作品を見るたびに思うのですが、これほど作家のカラーが前面に出てくる戯曲は珍しいです。よほど舞台設定が日本の風景を反映していない限り、ふつうなら日本の戯曲もどことなく韓国風になってしまうものですが…。俳優の演技には物足りない部分もありましたが、久しぶりに元気の出る芝居でした。

観劇日誌 15 『エレクトラ』(10/11)

鈴木忠志演出による舞台。鈴木メソッドによる韓国人俳優への演出とあって、若い観客(演劇学科の生徒?)で客席はほぼ満席。5人の男性俳優が舞台を車椅子で走りまわったり電車ごっこをするという幕開きは、今回の舞台でいちばん印象に残るシーンだった。韓国の評論家がこの作品をどのように解釈するのか楽しみ。劇評が出たら翻訳して紹介します。

観劇日誌 14 ワンチャン・パンソリ『沈清歌』(9/27)

国立劇場月の間(タルオルム劇場)でパンソリを見物。これは国立劇場が主催する公演で、ひと月に一回、年間を通してパンソリを通し公演する企画。今日の出し物は『沈清歌(シムチョンガ)』で、この日の語り手は珍しく男性だった。開演前に挨拶を兼ねてパンソリに関する説明があったが、昔は男性が中心で女性の語り手というのは珍しかったという。今は女性のほうが多いらしい。『沈清歌』の筋は多少知っているものの、やはり言葉が難しくてほとんど判らずじまいだった。聞きとれたのは二割程だろうか。しかし語りの部分をはさんだ歌(これも物語を成している)は長短(チャンダン=リズム)に変化があり、まったく退屈しなかった。前半が2時間20分で、後半が2時間。今回は韓国へ遊びに来た友人と一緒だったので、一幕が終わった休憩時間に座をはずした。この次は最後まで聞きたいと思う。

観劇日誌 13 『青森の雨』劇団コルモッキル(9/23)

久しぶりに大学路へ出て、韓国の劇団コルモッキルと青森県美術館の合同作品『青森の雨』を観劇。芝居は感傷的な話でちょっと退屈したところもあったが、昼間から芝居見物という贅沢を楽しんだ。小屋でやはり芝居見物に来ていた韓国人友人と偶然に会ったので、彼女と食事をして酒を飲んで…夜遅くまで話をした。

観劇日誌 12 『覇王歌行』中国国家話劇院(9/12)

国立劇場月の間(タルオルム劇場)で中国話劇を拝見。上手客席壁で字幕サービスを行っていたが、四川ちゃうちゃう視線が舞台と袖をいったりきたりでは疲れるし…で舞台に集中。俳優相互の立ち位置や発声、舞台装置、照明・音響の使い方を観察。話はある権力構造の中での覇権争い?美人が舞いながら出てきたり…なんかどっかで聞いたような話やなぁと思っておりましたが、そうだ虞美人の話ではないか。舞台前面には透明のアクリル樹脂?で作られた兜や甲冑が、まるで剥製のように収められたケース(これもアクリル?)が並ぶ。これらは継承された権力の象徴か?ホリゾントには天井からフロアまで届く幅三尺ほどの垂れ幕(紙だった)が6つと、舞台上下に別れて少しホリゾントから浮いたところに2つ。それらがひとつずつ、権力闘争の結果を象徴するように血に染まっていく。それも最初は赤い血だったのがある時から黒い血に変わる(権力継承の正統性を失ったことを暗示?)。虞美人は上ずった裏声のような声で台詞を語り、彼女との逢瀬は夢うつつのように演出(時折ふつうの声で台詞を語るときがある)。このように素材は古典だが舞台美術はかなり抽象的で、虞美人の話を良く知る者なら字幕なしで楽しめるでしょう。

観劇日誌 11 『リア王』劇団美醜(9/10)

芸術の殿堂、トウォル劇場での上演。演出は美醜のソン・ヂンチェクではなく李炳T。舞台美術は中央大学の演劇科で学科長を任されているパク・トンウ。舞台は平面で鳥居のような柱が巨大な王宮を想像させ、人間の存在をことさら矮小化している。開幕、二人の娘が父王に対していかほど尊敬の念を持っているかをくどくどと語るシーンでは、舞台前面にすえた玉座の影に腰を下ろした宮廷道化のしらけた態度がこの芝居の成り行きを想像させてなかなか良かった。しかし舞台下手に陣取った楽団は時として大音響を発し、戯曲の世界にまどろむ観客のアルファ波をかき乱す。舞台のあちこちにしつらえたカーテン幕があたかも千客万来の百貨店のエレベーターのように休むまもなく上がり下がりし、そのたびに視点は演技者から装置へ装置から演技者へとさまよう。「映画的演出法」とでも名づけてみましょうか。それにしても、冷房の効きすぎで舞台鑑賞どころではなかったです。

ソウルはもう秋?(8/23)

先週までは暑くて寝付けない日々が続いたのですが、今週に入ってもう窓を開け放したままでは寒くて眠れなくなりました。それでも日中はなんとなく暑く感じることもあるのですが、朝夕はめっきり冷え込んで秋の到来を感じさせます。

先月の27日に引越して来てからあちこち手を入れて(掃除を繰り返して)、ようやくこの部屋になじんできました。屋上と言うことで見晴らしは良いし、なんとなく落ち着けそうです。

ちょっと失敗(8/7)

帰郷するに際して「再入国許可」を申請するのを忘れておりました。入国時に発覚し、外国人登録証を回収されてしまった…。ソウルに暮らす日本人のみなさま、出国する際は「再入国許可」の申請をお忘れなく。

感激日誌10 『パラシュュート』(8/3)

大阪のコレオグラファー、北村成美の作品を栗東市文化会館で拝見。ラテンのリズムに乗って、パラシュート下降するシーンからスタート。舞台上の扇風機が視覚的効果と同時にダンサーの冷却用として優れた役目を果たし、夏向きの涼しげな舞台だった。

感激日誌9 『アジサイ光線』(8/1)

少年王者館の『アジサイ光線』を難波の清華小劇場で拝見。少年王者館はずいぶん昔から名前を聞いて知ってはいたが、実際に舞台を見るのは初めて。今回の作品主題は「時間」と「記憶」か。懐かしい思い出もあれば、思い出したくない記憶もある。両手で押さえ込んでも、あらぬところから噴出す記憶…もあると言うことか。

舞台は台詞が極端に少なく、それら台詞の間を想像力で埋めよということか。しかし単なる単語の羅列にしか聞こえない台詞から、意味を取り出すのは容易ではないな。歳のせいだろうって?しかしほとんど台詞無しの『リクエスト・コンサート』では、作家の意図をはっきりと感知できたんだけどね…。嗜好の違いが思考に影響を?

引越ししました(7/29)

去る27日に住み慣れた倉前洞を離れ、懐かしの鹽里洞(よむにどん)へ戻ってきました。「懐かしの」というのは、東京での生活を整理してソウルへ移住してきたときに最初に暮らした街だからです。2000年の2月のことでした。それ以後は新亭洞、可楽洞、倉前洞と引越しを重ね、そしてまた鹽里洞へ戻ってきたというわけです。そして、今回は韓流ファンならよくご存知の「オクタッパン(屋塔房)」です。夏は暑くて冬は寒いと言われ、じつはあまり暮らしやすいところではありません。しかしながら、いっとき流行りのドラマの舞台となったこともあって、わざわざオクタッパンを探す人もあったと言います。この頃はどうでしょうか。

私はわざわざオクタッパン探すほど韓国ドラマに入れ込んでいるわけではなく、保証金と家賃の兼ね合いでここを選んだしだいです。いま私が支払える家賃では、オクタッパンあるいは半地下の貸間しかないのです…。オクタッパンから鹽里洞や大興洞の家々をながめつつ、勉学と思索に励みます。

みなさま、日本は暑いと聞いております。どうぞお体に気をつけて、乗り切ってくださいませ。

ろうそく集会に思ふ(7/1)

ろうそく集会と言うのは非暴力(ろうそくの炎を消さない)というのが趣旨と聞きましたが、ここ最近は警察との摩擦が増大し、韓国の報道では非暴力から逸脱しているという論調になりつつあります。

ウェブ上のニュースで「民衆に取り囲まれてこづかれる警察」という写真を見かけましたが、現場からの話ですとそれは“演出”だということです。つまり警察の一隊がデモ隊をこづきながら(挑発しながら)群集の中に突入してわざと孤立し、群集から袋叩きにされるというシーンを作り出します。そして、ころあいを見計らって別の鎮圧隊が助けに入る…。しかしその時には「無抵抗の警察隊を群集が袋叩きにしている」という絵柄のできあがりというわけです。

何日かまえにデモ隊が新聞社を襲撃したと言う話もありましたが、あれも新聞社前に陣取った警察の挑発に乗ってしまいガラスを割ったようです。しかもさいきんはデモ隊の中に怪しい「挑発部隊」のような連中がまぎれこんでいるらしいです。しばらく注視する必要があるようです。

私は韓国の市民による示威行動が非暴力に徹することを期待しております。

観劇日誌 8 『オフィリアの影絵劇場』(6/29)

前回の舞台鑑賞からひと月が経った。今回は劇団銀世界の児童劇を拝見。なるほど、子供と言うのは話の筋を追うよりも、目先の変化にとらわれ易いということが判った。初演から5年を経て今回はいろいろアレンジを試みたわけだが、あまりにもスペクタクルで子供がいっこうに話に集中しない。難しいもんです。

観劇日誌7 『百年言約』(5/29)

今年いっぱい国立劇場の芸術監督を務める呉泰錫が国立劇団を演出した作品…なんだけど、久しぶりにつらい芝居だった。まだ本も舞台も完成していないような…。ちょっと落ち着いてから書きます。今はまだだめ…。

観劇日誌6 『焼き肉ドラゴン』(5/23)

芸術の殿堂と第二国立劇場ぢゃない、新国立劇場の共同制作。戯曲は鄭義信で演出は梁正雄(ヤン・ヂョンウン)。俳優も日韓混成で台詞も同様に日韓混用。鄭義信の作品は梁山泊時代からだから、もう20年のつきあいになるだろうか。戯曲のスタイルは相変わらずだね。淡々として、日常のさまざまな局面を描いていく。でも今回はさまざまな“事件”をさながらキャッチボールのように回して行くあたりがとてもうまかった。以前は事件の解決を見ないままに終わったものだから、「えっ、もう終わりなの?」という感じで、なにか突き放されたような気がよくしたもんです。今回は役者もうまいのが揃っているし。また、三人の娘がそれぞれ北と南と日本で暮らすことを選択するあたりは、在日の置かれた状況をよく説明していると思う。このあたりの表現はとても直接的で、柳美里とはかなり趣が異なるなあ。ところで、今回の舞台は日韓語混交のやりとりがぎこちない意思の疎通を見せてたいへんおもしろかった。『その河を越えて』では日本語と韓国語の両方が判ると、むしろ舞台のおもしろさがスポイルされたのはなぜだろうか…。作家が二人だと難しい?それにしても、今日の舞台に梁山泊時代からの馴染みの役者の姿を見ることができたのはうれしかった。10年ぶりか?お互い息災でなにより。

でも、一度日・韓双方のオーソドックスな作品を見比べたいと思います。たとえば『セールスマンの死』とか『欲望と言う名の電車』なんかを。あまりにも日・韓に“特化”された作品が多くて、比較が難しいというのがこの頃の思い。共同作業にも大きな意味はありますが、お互いにそろそろ“素顔”を見たいと思っているのではないかと考えております。

観劇日誌5 劇団TPS『春の夜想曲』(5/10)

ソウル演劇祭参加作品。アルコ芸術劇場小劇場での公演。物語の舞台となっているホテルの客室に、“思わぬところ”から人が現れるというシチュエーションが楽しかった。池の中の浮島にある特室の地下に秘密の通路があって、それがホテル本館や近所の音楽堂などとつながっているという設定だ。

20年ほど前、ソウル駅の近くの厚岩洞に暮らす友人を訪ねたことがあった。敷地が100坪はゆうにあろうかという立派なその屋敷には各部屋から通じる地下の通路があって、正面玄関だけではなく“裏口”からも出入りできると聞いて驚いたことがあった。その“裏口”とは石垣をめぐらした敷地の一角にある貸し店舗で、見た目にはまったく別の建造物になっていたからだ。この屋敷は正面玄関側から見ると二階建てだが、貸間用に作られた半地下の部屋が三つも四つもあってそれらを地下通路が結んでおり、この通路をつたって正面玄関とは別の方角にある貸し店舗から外に出ることができるわけだ。家人の説明は「敵が攻めてきたときに逃げるための通路」ということだったが、この話の背景はどうやらユギオ(韓国動乱)みたいだった。

『春の夜想曲』はお笑いのネタがかなりローカルだけど、むしろ良い勉強?になった。客席からもけっこう笑い声が聞こえたが、あの薄暗くて見づらい字幕でローカルなネタを理解して笑ったのだろうか?翻訳がうまかったのかなあ。

そーいや、今日は「メーデー」だった(5/1)

うちのそばにイーランドという会社があります。どういういきさつからか判らないのですが、ここ何年か休みの日になると被雇用者が拡声器でアジテーションを行っております。会社の門前に機動隊も配置されるので、立派な争議の形態を備えております。とくに昨日はひさしぶりに朝からえらい騒ぎで、ずいぶん盛り上がっているなあと関心しておりました。ところで本日は「メーデー」本番なのに誰もいない。はて?これはもしかすると今日は労働者の休日ということで、昨日のうちに示威を済ませておこうということだったのでしょうか?あるいは今日は労組の集まりか何かに出るために、個別的示威行動は昨日のうちに済ませたのかなあ…。真相はいかに?

そーいや、今日はたいまつがソウルを走る日だった(4/27)

ギリシアから火を持ってくることで「正統性」を主張するわけでしょうか。なんだか必要も無いのに問題を起こしながらあちこち駆けずり回っているように思えますが。そもそも万博とオリンピックはその出自から資本主義・帝国主義と深い関係を持っているから私は好きになれないのです。

鑑賞日記4 金森穣(4/25)

LGアートセンターで金森穣の率いるNoism04による舞台を拝見。かなりの身体訓練によってはじめて可能になると思えるような肉体表現にびっくり。ダンサーの動きも複雑で、相対するダンサーが基本のコード上で、それぞれスケールにそって即興演奏を行っているような印象を受けた。でも、「体育系」の客は感激しただろうけど「文科系」にはちと物足りないところが…。なあんちゃって。 @^へ^@

カン・サネのライブへ行ってきました(4/20)

カン・サネは韓国ではちょっと知られたミュージシャンですが、じつは私の古い友人です。20年前に出会った時は「ギター好きの青年」でしたが、いつのまにか売れっ子になっていて驚いたもんです。今回は弘益大学校前の小さなホールで三週間連続のライブ。昨日がその最終日でした。客のノリも良くて、なかなか楽しめました。

ゲスト出演した中にハチ&TJという日・韓二人組みのバンドがありまして、最近売り出し中の歌は『チャンサ ハヂャ(商売しようぜ)』。なかなか軽快な曲です。↓
http://jp.youtube.com/watch?v=4mgsyiz_yMk

李杜鉉(イ・ドゥヒョン)著『韓國演劇史』の部分公開(4/17)

前ソウル大学教授の李杜鉉(イ・ドゥヒョン)氏の『韓國演劇史』「第6章 現代の演劇」を翻訳すると言いつつ既に6年が経ちました。学業に忙しくてというのが一番の理由ですが、もうひとつは文中で紹介される韓国語の新聞記事の読み下しに時間がかかるのです。しかしあまりにも年月が経ちすぎたので、部分的に翻訳を終えたところから公開することにしました。翻訳作業に際しては柳敏榮著『韓国近代演劇史』も参考にして正確さを確保するように努力していますが、誤訳・誤字脱字等をご指摘いただければ幸いです。

鑑賞日記3 『赤鬼』(4/8)

野田秀樹の作品をわが西江大学の演劇同人、西江演劇会が上演。韓国では以前に野田秀樹自身が赤鬼を演じ、オーディションを通じて選んだ韓国人俳優とともに舞台化した作品。前回は浜辺の村に「異物」として挿入される赤鬼を作家自身(日本人俳優)が演じわけだが、今回は演出からキャストまでオール韓国人によるもの。そこで韓国人俳優による赤鬼がどのように「異化」されるのかを見ようと思ったが…あれぇ、こんな作品だったっけ?村八分の兄妹と赤鬼がシンパシーを形成していく過程が重視され、たいへん判りやすい演出になっている。あ、演出ノートには「韓国式に脚色した」とある。なるほど、納得。

鑑賞日記2 『ナムサダンのハヌル』(4/5)

久しぶりに劇団美醜(ミチュウ)の舞台を拝見。出し物は『ナムサダンのハヌル』で、ハヌルとは空のこと。日帝時代の朝鮮社会で放浪芸人集団が徐々にその領域、農耕社会における放浪芸人集団の意味や経済的基盤(つまり食い扶持)を失っていくすがたを描いたもの。大学路はアルコ大劇場をナムサダン(男舎党:放浪芸人集団)に扮した役者で一杯にうめての熱演。マダン劇的群集劇の演出はソン・ヂンチェク(演出家、劇団代表)の得意とするところだし、美醜の役者たちは農楽(ノンアク)や人形劇などをそつなくこなす。放浪芸人集団のパフォーマンス・シーンが多く、見どころたくさんの「押せ押せムード」の舞台だった。しかし、悪さをしてサダンから追い出された若者が数年後に新派劇団の一座に加わっており、偶然再会した凋落一途の昔の仲間に公演ちらしを手渡すシーン、あるいは地主の息子が日本留学から戻って満州に渡り抗日の士になるなど…台本は登場人物それぞれの変化で時代の移り変わるようすをうまく描き出していると思った。

韓国は今年「韓国演劇100年」。つまり李人稙(イ・インヂク)の『銀世界』上演から100周年を記念。そのため今回の公演は席料1万ウォン均一といううれしい企画だった。

新学期の始まり(3/3)

今日から新学期。申請した科目は新聞放送学科の「現代社会とカルチュラル・スタディーズ」と国文科の「韓国伝統劇研究」。この歳になると一学期に二科目をこなすのがせいぜい…。若い連中は三科目とか、勇ましいのになると四科目申請するのがおりますが。ま、ぼちぼちやりまひょ。

観劇日誌1 『ブラインドタッチ』サヌリム小劇場(2/20)

劇団燐光群代表で作家・演出家である坂手洋二の作品を金洸甫が演出し、韓国演技陣(イ・ナミとユン・ソヂョン)で上演。小屋は新村を演劇のメッカとした時代の名残りであるサヌリム小劇場。

舞台を見ながらウエノという劇中人物の名前がどうもひっかかった。10年ほど前に東京で“ホシノ”という人物と会って、彼といっしょに日韓ダンスフェスの舞台作業に手を貸したことがあった。そのときに彼が「兄が(弟だったか?)死刑になる」と言って悲嘆していた。きちんと話を聞かなかったのだが、まわりから漏れ聞くところでは無実なのに死刑判決を受けたとかいうことだった。それで気になって芝居がはねて部屋に戻って調べてみたら、この作品は作家が「星野文昭」という長期囚をモデルにしたものだということが判り、その瞬間にウエノと星野と“ホシノ”が繋がった。東京の“ホシノ”ときちんと話をしなかったことが悔やまれる。

金洸甫には『人類最初のキス』という監獄を扱った作品があるが、彼は韓国の長期囚を念頭に入れて演出したのだろうか?獄中結婚で16年間離れて暮らした男女という絵柄はうまく描かれていたと思うが。舞台を見て思い出したのは、8年ほど前に読んだ韓国の小説。それは成功した女流芸術家と20年間獄中にいた長期囚を併置して展開する物語で、そこには出獄した長期囚が「自分の部屋の戸を自分で開けて外へ出ることができない」シーンが描かれていた。だから今回の舞台で獄を出た主人公が新居へ着いて最初に障子を開けて庭を眺めるシーンにすごく違和感を感じた。ところで、韓国の観客はこの舞台を見て自国の長期囚のことを思い浮かべたのだろうか?

雑誌『韓國演劇』の目次(2/17)

1976年に創刊の演劇雑誌『韓國演劇』の各号の目次をスキャンしアップロードました。一部未整理ですが、創刊号から2005年までの大部分を収録しました。んで、これがいったい何の役に立つのだらふ? ^^;

ここ二〜三日、ぐっと冷えます(2/14)

とは言うものの、昔に比べたらたいしたことはおません。10年ほど前までは冷え込むと漢江がびしっと凍ったもんですが、最近はじぇんじぇん凍りませんな。冬のキンチョー感が無くなりました。

なにしろ私は壁はブロックむき出しで天井も無い家に練炭火鉢一つしかない環境で育ちましたから、いくら韓国が寒いとはいえ部屋の中は暖かいもんです。窓は全部二重で壁はブロックを芯に前後に厚手の発泡スチロール。ばっちり防寒できてるからオンドル入れたら暑うて眠れんませんがな。そやけどオンドル入れんと管が凍って破裂するさかい、しょーが無いですわ。わっはっは。

謹賀新年(2/7)

今日は「クヂョン(旧正=旧暦の正月)」の元旦です。正月が2月までずれ込むので、新暦に慣れた者は少し違和感を感じますが、街は静かで、やはり「シンヂョン(新正=新暦の正月)」よりもずっと雰囲気が良いです。昨年の旧正は2月18日で、新正とのずれがけっこうありました。ところが昨年はあまりにも忙しくしていたため、旧正月をどのように過ごしたのかまったく記憶にありません。ちょっと悲しひ…。今年は部屋でのんびりと正月気分を楽しんでいます。

留学ビザ取得(1/28)

この春からまた大学へ通います。そこで就労ビザ(E-7)から留学ビザへの変更を申請したところ、今回はD-2-Dという型番のビザをもらいました。ふつう大学への留学はD-2だと思ったのですが…。末尾のDにどんな意味があるのか、こんど入管で訊ねてみませう。 ^^;

映画鑑賞 1 『裸の島』(1/22)

明洞シネカノンと国際交流基金のタイアップ事業でしょうか、「毎週火曜日、未知の傑作に逢う」という宣伝文句で日本映画の上映会を開催しております。幕開けは新藤兼人監督の1960年度作品『裸の島』でした。無料ですが2時間前に座席票を受け取るために映画館へ足を運ばなくてはならず、ちと不便。この日もチケット配布の6時半にはすでに多くのファンが集まっていました。来週も席取りに頑張らなくてはいけないようです。

オンドルのパイプが破裂…(1/20)

日本へ行っている間にこっちはけっこう冷え込んだらしく、戻ってきてびっくり、オンドルの温水を床下に回す硬質ビニールパイプが凍って破裂していました。ボイラーから床下へ向かう導入部(露出している)でしたのでパイプの交換(5万ウォン)で済みましたが、これが床下に埋まったパイプの破裂だったらえらい出費になるところでした(こうなると夜逃げしかない?)。ボイラを「外出(アイドリング状態)」に設定しておいたのですが、あかんかったんです。家主のおばちゃんは凍結を心配して「ちょっと温度を高めに設定しておけ」と言っていたのですが…。「郷に入れば郷に従え」と言いますが、おばちゃんの勘は侮れんです。

ウェブの更新(1/18)

今年から心機一転、ウェブの更新と記述修正などを積極的に行います。1980年代に入って活発になった日韓間の演劇交流に関する資料を収集・整理、そして逐次データを更新する予定です。どうぞご期待ください。

謹賀新年(1/6)

明けましておめでとうございます。2006年夏から韓国企業で仕事をしていたたために、観劇もままならぬ生活を送っておりました。今年は3月から博士課程へ就学するので仕事はアルバイトとし、少し余裕のある生活を送ろうと考えております。宿題として残っていた「韓国演劇史」の翻訳もこの春の開講までには終えるつもりです。どうぞご期待を。そして本年もどうぞよろしくお願いいたします。
去年の日誌 トップページへ

© 岡本昌己/OKAMOTO masami