劇団木花代表である劇作家・呉泰錫の1976年作品『春風の妻』の再演。春風の妻を演じた女優は劇団在籍12年の達者な中堅俳優だが、今回の舞台はいつもの冴えが無い。公演後の酒席でその理由を尋ねてみたら、この作品は役者にとってなかなかに難しい作品なのだという。台詞のリズム感が韓国語独特のリズムから来ているのだが、韓国人でありながら、その呼吸を掴むのが難しいらしいのだ。そんなものかなあと感心した次第。呉泰錫後期の作品と違って、かなりタイトに作りこんだようだ。作品のストーリーに関してはこちらのページを参照されたし。
太田省吾の作品を韓国人演出家・金亜羅(キム・アラ)が演出。アルコ劇場の大劇場の舞台に階段式の客席をしつらえて俯瞰舞台とし、舞台上に砂に埋まった冷蔵庫やテレビ、そして土管(モノはダクトだが)を配置するというなかなか凝った作り。原作を見ていないのでオリジナルと韓国作品との違いは判らないのだが、秋口に上演した『水の駅』のように、やはり“人生はさまざま”という作りになっていた。舞台あちこちで異なる話が展開するので眼にはおもしろいが、散漫な印象を受けるのは、この作品を上演するには空間が大きすぎたのか?舞台と距離があるので凝視するのではなく、どうしても風景を見るように眺めてしまう。
高麗大学の名誉教授でいらっしゃる徐渕昊(ソ・ヨノ)先生が『韓国演劇史』を上梓されたとのこと。私がぐずぐずしている間に韓国演劇史の、それも古代の芸能からの通史が出ちゃいました。でも李杜鉉先生の見解を紹介することもまた意義がありましょう。がんばって翻訳を続けますぞ。
韓国演劇学会の役員の審査を経て、正式に学会員になりましたので、日韓現代演劇交流に関する学会誌論文を提出する予定です。何回かに分けて発表する予定で、まずは70年代中ごろから再開された日韓演劇交流の契機を、当事者のインタビューなどで構成してみたいと考えております。
公演のお知らせです。
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静岡県舞台芸術センター(SPAC)公演
『ロビンソンとクルーソー』
2010/1/16(土)、17(日)、23(土)、24(日)、30(土)、31(日)
15時開演
有名な「ロビンソン・クルーソー」の物語からタイトルをとっていますが、まったく別のお話です。小さな無人島に流れ着いたふたりのおとこ―ひとりは日本人、もうひとりは韓国人。ことばも通じず、最初は敵対するふたりが、やがて生きのびるために助け合い、お互いを理解し、友情をはぐくんでいきます。
舞台上で日本語と韓国語のふたつの言語が飛びかい、ことばも、文化も、身体もちがうふたりの男が体当たりで心を通わせる、笑いあり、涙ありの楽しい舞台。
韓国を代表する演出家イ・ユンテクが、SPAC俳優を演出した日韓共同製作作品。
[劇場]
静岡芸術劇場
〒422-8005 静岡市駿河区池田79-4
電車:JR東静岡駅南口前、グランシップ内
JR東静岡駅は、静岡駅より東海道本線で2分
[料金]おとな 4,000円
ふたりチケット(2枚) 7,000円
大学生・専門学校生 2,000円
高校生以下 1,000円
[ウェブサイト]
http://www.spac.or.jp/09_winter/robicru.html
[その他]
親子モニター大募集!限定200組で親子1組3000円でご覧になれます。
国立韓国芸術総合学校の演劇専攻学生の、いわば卒業作品のようなもの。『赤い悪魔』とはサッカー韓国代表チームのことだが、フランス人の演出家による舞台はまず北韓(プッカン)の“国策”演劇の舞台を模したものを羅列し、そこに2002年のワールドカップで熱狂する韓国の姿を挿入したり、最後は南北の国歌をまぜこぜにした曲を演奏して終わるという塩梅で、どうやら南北韓の“相似形”を描きたかったみたい。幕開き、北韓の威勢の良い行進曲調の音楽が流れる中で舞台上に数人の演技者が枕を並べて眠っているのは“国家”という夢を見ているという暗喩か?それにしても、ステージ奥に陣取った韓国の伝統楽器を含んだオーケストラの生演奏に加え、ホリゾントにはおそらく芸総の映像院の学生の作品ではないかと思えるデジタル系のイメージが乱舞し、フラットなステージで繰り広げられるダンス(それともコントか?)という舞台構造で、それらの諸要素がみごとにばらばらの舞台だったな。
劇団コルモッキルを率いる朴根亨の作品で、ひさしぶりに暗〜い物語だった。便所できばる慢性便秘でヒキコモリの次男坊の姿から始まり、次はその便所でオヤジが正装して首をつるという展開。もちろん母親は何年か前にさっさと家出しているという状況設定で、長男は当然のことながら売れない映画監督で空想科学映画の製作を夢想して家には寄り付かず、その妻は飲み屋で働いていて毎日酔っ払っての帰宅だが、これも当然ながら男友達を家に引き入れる。幕開きで自殺した父親は芝居が終わるまでずっとぶら下がったままで、あちこちに笑いの要素はちらばっているけれどあまり笑えないブラックユーモアだった。朴根亨と青森県立美術館との合作『青森の雨』にも自殺するために連絡線に乗るという人物が登場したし、この作家はこの手の話が好きなのかも。
ハンガリーの劇団によるチェーホフの『プラトーノフ(父なし子)』。演出はロシアのユーリ・コルドンスキー。ソウル国際公演芸術際参加作品で、大学路の大学路芸術劇場大劇場で上演。まったく予備知識無しに舞台を拝見し、なぜか無性に“家(故郷か?)に帰りたくなる”という、じつに珍しい気分になった。芝居を見てもののあはれを感じるとか、浮世のはかなさを感じるとかはあっても、故郷に帰りたい…なんてぇのは初めて。いったいこの作品はどういうものなんでしょうね。調べてみようっと。
太田省吾の作品を韓国人演出家キム・アラが演出したもの。原作のテクストを大胆に解釈して、止め処なく流れる水の流れに時間の絶対性を求めるのではなく、悠久の時間の流れに並行して営まれる人間の死と再生を描く。原作では多様な登場人物の生は蛇口から流れる水に収斂されたが、今回の作品では、個別登場人物は大きな時間の流れの中で“それぞれの時間”を生きている。
創作ファクトリーは演出家が大学路の北辺に入手した地下空間で、新宿のタイニイアリスを連想させる(面積はタイニイの数倍だが)。今回の演出は舞台と客席の区別をなくし、客は舞台を取り囲むように壁面に沿って腰を下ろす。演技者は客入れ前から壁面に沿って立ち位置に就いており、客と演技者の区別を曖昧にする。演技者は客のあいだから“舞台へあがる”のだが…こういう配置だと、つい僕もつかつかと舞台に出てみたくなってしまいますな。 ^^;
今夏はけっこう雨が多かったせいか、なんとなくウェットな夜が続いております。わが“夜の司令塔”から漢江の方向を撮りました。
Sanyo MZ1
坂手洋二の作品『屋根裏』の韓国語版で、タラクパンというのは韓国でいっとき流行った“屋根裏収納庫”のことだという。今回は韓国人俳優を坂手自身が演出したもの。ここ韓国でも“引きこもり”は言葉そのままに通用するので、韓国人観客も芝居の内容を掴むところにさほど苦労は無かったと思う。舞台がはねた後に客席のそこかしこから韓国語のアクセントによる「ヒキコモリ」という言葉が聞こえてくる。巷間の評判もけっこう良い。この作品の上演に続いて坂手作品を連続で上演したが、学期末に重なって見ることができなかった。残念。
前回、芝居を見てからひと月半が過ぎてしまった…。今回は劇団木花の1990年作品の再演。この作品はパンソリ『沈清傳(シムチョンヂョン)』から主人公沈清(シム・チョン)と竜王を拝借し、舞台を現代韓国にしたもの。この作品が書かれた1990年当時の韓国では社会不安を反映してか投身自殺が相次いでおり、海の神様である竜王が「これは何事か」と陸に上がってくるところからこの作品が始まる。
落とされたら北の、落とし損ねたら日本の面目が丸つぶれでしょう。中国と韓国と米国は高みの見物。打つのはやめた方が良いと思いますなあ。ところで、今回の「花火大会」は先々週の「金賢姫訪問」と同様、韓国の市井ではまったく話題になっておりません。それよりWBCの方が深刻で、「よりによってなんで日本に負けたんだ…」という学生のつぶやきが本音を語って印象的でした。
平田オリザの作品を韓国の劇団が上演。総勢21人の役者が登場して、舞台はなかなか賑やか。“戦争”や“遺伝子操作”などの「巨大談論」(←韓国式表現です)を日常生活の中に織り込んで、さりげなく話を進めるという平田オリザのスタイルが舞台でうまく再現されている。きわめて日常的なシーンで始まる今回の芝居は、しかし植物人間になった科学者を連れてくるという事件と接触して、登場人物それぞれが少しずつ変化を見せ始める。ところが彼・彼女らの葛藤は物語を一極に集中させるほど高潮するわけでもなく、解決したのかしなかったのか判らないままにまた日常の中に埋没して芝居は終わる。しかし今回は彼・彼女の日常は確実に変化するという予感をいだかせる。『その河を越えて、五月』では佐々木さんの「ごめんなさい」があまりに唐突だったので違和感を感じたが、今回は微妙な変化がていねいに描かれている。良い週末になりました。
友人の結婚式で昌原(チャンウォン)へ行ってきました。「チャンウォンの家」という韓国式の伝統家屋で行われる、やはり韓国式の結婚式です(ただしかなり簡略化されていましたが)。新郎の友人ということで、式次第の手伝いをやらされました。新婦の前に机(サン)を出したり引っ込めたり、酒を注いだり…。なかなかおもしろい経験でした。それにしても、ここしばらく芝居見物をしてませんなあ…。
一月中旬に旅行した河回マウルの遠景。河回(ハフェ)村の名前の由来は川がぐるりとこの村を囲んでいるところにあります。写真ではあまり良く見えませんが、手前左から右へ、そして村の背景に見える山のふもとにむかってぐるりと回っています。この村は山間の平地にあって、川が少し蛇行しているのでしょう。夏は涼しげですが、冬は川風でそうとうさぶい〜。
じつはこの村よりも少し山手の方が地勢は良いらしいです。しかしそこは先に安(アン)氏や姜(カン)氏が居宅を構えており、そこで柳(リュウ)氏は風水上は問題ないとされていた川のほとりを抑えたというわけです。土地をめぐって柳氏は一歩出遅れたわけですな。韓流スターのリュウ・シオンはこの村の宗家である柳(リュウ)氏の子孫だそうです。
近郊には安東権(クォン)氏や安東金(キム)氏が住む村もあります。安東金氏は代々権勢家で、家門から政府高官や朝鮮通信使になった人物を輩出しております。とくに安東金氏の葬式に使う屋敷というのは壮観でした。年に二回しか使われないという施設で、ふだんは墓守しかいないそうです。また、韓国でクォン氏を名乗る者はこの安東のみが宗家であり、彼らは(女性は含まれない)トルリムチャという名前の一字をもってクォン氏何代目であるかを判別できると言います。現代に垣間見える儒教の世界?
安東は風光明媚で、温泉もあっていいところでした。ぜひ訪れてみて下さい。
Leica minilux
さすがに正月。昔ほどではないにしろ、やはり街は静かです。20年前なら正月ともなればほとんどの店は戸を閉めたものですが。写真は玄関さきから新村の方角を向いて撮った夜の月です。寒そう?
Leica minilux
韓国は今日が元旦です。雪が降って良い正月になりました。写真は玄関まえからいつもの方角、うちの大学のある老古山(ノゴサン)の方角です。
Leica minilux
今年最初の本格的な降雪。気温が零下を維持すると降った雪が凍ってけっこう怖い。写真は玄関から西江大学のある老古山の方角を写したもの。
Sanyo MZ1
韓国に暮らしてはじめて旅行をしました。いままで演劇祭などの行事めあてに地方へ行くことはあっても、観光旅行は初めてのことです。今回の旅の目的地は慶尚北道の安東市郊外に位置する河回(ハフェ)マウルでした。ここは伝統的な「河回別神クッ」で名高い村で、いにしえの両班(ヤンバン=貴族)の暮らしぶりを今に伝えることでも有名です。村は国の積極的な保護の甲斐もあって、往年の姿をよく保存していました。いずれ写真を添えてご紹介します。
昨年もまた、世界はあまりよい話題で年末を締めくくることはなかったようです。なればこそ、今年こそは手ごたえのある年としたいものであります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年はより高次の目標達成のためにシビアーな計画を立てて邁進しますぞ。そのためにはなによりも体つくりが重要。身内には太極拳でビルドアップを実践している者がいると言いますし、わたくしもちとまじめに運動でもやりますかの〜。
去年の日誌
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