Theatre Reviews
アンチウンの演劇日記「うそつき女、英子」
日本人が書いて演出した「慰安婦」演劇/反省の主体無く、被害者の自白のみ強要(ハンギョレ新聞1995年12月7日)

日本の過去を反省する演劇が多い。去る8月には「あるオモニの生涯」があった。ナイテ企画の「うそつき女、英子」は日本人演出家が韓国人俳優たちといっしょに作った日本軍慰安婦に対する演劇だ。日本演劇人たちが慰安婦を語ることだけでもわれわれは彼らの態度をありがたく思う。はたして彼らは謝罪し反省するのだろうか?

1934年に日本の東京に生まれた演出家であり、現在日本演出者協会理事長を務めているふじたあさやが書いて演出したこの演劇は、いまソウルのある小劇場(ウネンナム小劇場)で韓国の俳優たちによって公演中だ。演出家はこの作品で「日本がおかした蛮行、演劇で謝罪します」と、作品を作るところでは「資料を得られるだけ最善を尽くした」と語る。これに対して韓国の演劇人たちは「日本の知識人の良心宣言」と応ずる。

しかしこの演劇をもう一度読んでみよう。企画社が紹介した作品の内容は次のごとくだ。「日帝強占期に日本軍慰安婦として連れていかれた一人の少女が苦労して故郷に生きて戻った時、彼女は自分の過去を問う人々に、いたしかたなく嘘をつかなければならなかった。彼女の嘘がしだいに真実の告白に変わりつつ、劇中では悲惨な歴史がひとつひとつあらわにされ、劇の外では過去の歴史に向かって率直で謙虚な姿勢で立っているある日本人知性人のポーズが浮かぶ」。ここで知性人とはふじたをさしている言葉であり、ポーズとは行動ではなく行動するように見せる疑似行動であるだけだ。

この作品は日本人である彼が反省するといよりも、慰安婦だったあるハルモニに自白を強要する。英子が過去を隠さずに打ち明けることが当然だとする。しかし、つらい過去を受け入れてくれない現在に閉じ込められた彼女としては、言えなかっただけで、英子は作品の題名のように嘘つきではない。作品は最初から終わりまで被害者の強要された自白で埋められている。

加害者が日本人であることを自白しようとするならば、日本人として彼が反省しようとするならば、演劇は韓国人ではなく日本人に自白を強要しなければならないのは当然だろう。しかしこの作品で加害者である日本と日本人の反省は、見当違いに被害者である韓国と韓国人の自白に化ける。加害者は被害者の自白を通じ、自分自身が反省していることを信じるようになる。公演を準備した韓国の企画社がこの作品を「日本軍慰安婦の過去を語る演劇」であると掲げるように、この演劇は加害者の過去を省略している。この演劇は反省だけあり、反省の主体がない。

慰安婦のような過去の問題にあって演劇の正しい態度とは、日本人がひとり反省することを賞賛するよりは、語らない大多数の日本人の態度を問題とするべきだ。反省はすすんで行う自白の響きのようなものだ。嘘つき日本・日本人と、自身の胸を打ちながら傷つけることだ。被害者ではなく加害者が、韓国人俳優ではなく日本人俳優を通じて、加害者である日本の観客に向けて。(演劇評論家)

このドキュメントの著作権は著者と当該の出版社・新聞社にあります。翻訳の責任は岡本にあります。