Theatre Reviews
ためらいと沈黙、余白の美学
ラボCJK『海と日傘』 金美都(演劇評論家・ソウル産業大学教授) 「韓国演劇」2004年10月号

写実主義は古い様式だがいつも新しい。それはありのままの生を見せてくれるという点で、陳腐ではあるが慣れたものから驚くべき真実を発見させてくれるからだ。松田正隆作、ソン・ソノ演出の『海と日傘』はあまりにも平凡な日常から生と死に対する無限の洞察を引き出す。

松田正隆の文はふとチェーホフの体臭を濃く漂わせる。そこにはドラマチックな人生もはっきりとした事件もないからだ。彼はチェーホフよりはるかにより葛藤を冷却させ、遠く避けて語り、止め処なく解決を留保する。登場人物たちは一様に何ごともてきぱきと言えず、直接的に言うことができない。彼らは言葉自体よりも言葉のあいだの沈黙と、ためらう表情とぐずぐずとした行為の中により多くの意味を含ませる。

この作品には二組の夫婦が中心人物として登場する。限られた生を生きている妻(イェ・スヂョン)と実直な小説家の夫(ナム・ミョンヨル)は、がんらい口数少なく落ち着いた方だ。小説家の夫は妻の病名や状態に対して具体的な言及を避けている。妻もまた近づいてくる死の影をはっきりと認識しながらも、ぜったいに激した感情をあらわにしない。これに比べて彼らが住まう借家の家主夫婦は口やかましく闊達だ。しかし口数の多い彼らさえも、いざ言うべき事となると直接的に言い出せない。彼らは小説家に運動会に行こうと勧めるにも何度も躊躇し、何ヶ月も滞った家賃はずっと催促できないでいる。

この作品での寓話的な表現方式は、妻と別の女性たちとの関係の中に極大化される。妻はわが身を看てくれる看護婦をあえてぎこちなく膳をはさんで向かい側に座らせておき、一人残ることになる夫を慇懃に依頼する。しかしいざ夫と不倫の関係のような出版社社員がたずねてきたときは、茶碗をひっくり返して不快そうな気持ちをあらわにする。夫と出版社社員との関係は出版社の男子社員のセリフを通じて見当をつけるほかない。このようにすべてのことが模糊として暗示的だ。作家は適切に余白を通じて観客の想像力を引き出す。それは実際に見せることで意味を具現する西欧的写実主義あるいは既存の写実主義に厳然と背くものである。むしろ見えないもの、複雑な内面の心理、隠された裏面の姿が客観的に想像力の中で休むことなく化学反応を引き起こす。ぞっとするほどきわめて写実的な表現が、そうとう想像力を要求するということはたいした逆説である。

がらんとした板の間が大部分を占める舞台は、余白の美学をそのまま反映している。ときどき板の間の両側のはしに位置した部屋や厨房で繰り広げられる状況はやはり推測するだけであり、自然に盗み聞きの方式をとるしかない。板の間ごしに○○が横切って見える構造はかなり独特だ。それは常識的な舞台設定を反対にしたものであり、人物たちは観客たちに背中を見せることが多い。このような動作線はけっきょく原作の間接的話法とうまくあう。俳優たちの視線は観客を正面に向かわせず、彼らの視線もつねにはすになる。対話をするときあいての顔をまっすぐに凝視しない東洋的情緒がうまく溶け込んでいる。

題名で強調された「海」と「日傘」はすべて病の妻の「最後の外出」と関連がある。妻が外出したが遊び場へ日傘をおいて戻ってくる日、夫が日傘をさがしに行ったあいだに妻は倒れる。晩夏に倒れた妻は晩秋の紅葉がすっかり色づいた頃に医者から外出許可を得て海へ行こうとするが、出版社の女社員の突然の訪問でバスを逃してしまう。夫との最後の外出が霧散した後、彼女はまばゆい虹の下で天真爛漫に笑いながら夫に自分を忘れないようにと頼み込む。そして雪の降る冬の日、彼女の葬式がさびしく執り行われる。板の間の扉が閉じられたことだけでも寒さの感じられる舞台で、夫はひとり食事しながら何気なく妻に雪が降ると言う。

二組の夫婦と脇役たちにいたるまで、節制した演技で余白の美学をうまく作り出した。あまりにも静まり返ってややもすれば重く沈むこむ雰囲気に、家主夫婦の騒々しさはあっさりとした喜劇性を加味する。とくにコミカルにくずれていく朴チイルの演技変身はそれじたいが驚きであり新鮮だ。つねに深刻な作品で暗い主人公を熱演しながらも、いつも似通ったキャラクターで多少くすぶっていた彼が、この作品を通じて潜在していた演技の幅を遺憾なくあらわした。この間、朴チイルを固定したキャラクターの中にのみ閉じ込めていた演出家たちが恨めしいほどだ。朴チイルとともに呼吸を合わせた李ヂョンミも、親しみやすく穏やかなアヂュンマ(おばさん)の典型をいい味わいで演じた。

『海と日傘』は西欧的写実主義は異なる次元で、東洋的写実主義の独特な風景を見せた。あるいはまた写実主義が依然として有効な、永遠に生き残ることのできる演劇様式であることを雄弁に語っている。絢爛たる様式の実験やスペクタクルの中ではけっして感じることのできない、骨身にしみる「生の真正さ」が写実主義の中でもっともうまくにじみ出るからだ。愛と憎しみや憐憫がつねにいっしょになって共存する、その呪わしくも美しい「夫婦」関係が言い争いひとつ無くこれほどまで悲しい作品に出会うことは容易ではないだろう。

このドキュメントの著作権は著者と出版社にあります。翻訳の責任は岡本にあります。
▲Theatre Reviews