Theatre Reviews
『ゴドー』と『ドンキホーテ』の日本版言語ゲーム
劇団カルティズン 『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』 シム・ヂョンスン(演劇評論家・崇実大学教授)  「韓国演劇」2005年5月号(p64)

日本演劇の国内公演が盛んだ。少なくとも筆者が最近に観劇した野田秀樹の『農業少女』と別役実作『諸国を遍歴する二人の騎士の物語り』の公演を見る限りでは。このほかにも『羅生門』など3〜4編の日本演劇が公演中かあるいは上演予定であると聞いている。これは何年か前から韓日間の演劇交流や合作公演・ドラマリーディングの順で続いてきた演劇交流の流れ上、自然な局面であると考えられるだろう。今年が国内劇団による日本演劇の本格的公演の始まりと言えるだろう。

上記した4つの公演を見て改めて感じた点は、日本の作家たちが駆使する国際的感覚である。グローバル演劇の伝統を選択的に、しかし自由に引き入れ独特の方式で再構成するという文化的自信感と経験、これを基盤に創造する彼ら独自の芸術的洗練美と真剣さなどである。『農業少女』が疾風のような感情的ウェーブを追い立てて躍動的な場面を構成したとするならば、『諸国を遍歴する二人の騎士の物語り』はひとつひとつ緻密にセリフを駆使しながら、とんでもなくコミカルな言語ゲームを繰り広げる。

ソン・ソノの翻訳・演出で劇団カルティズンが制作し文芸振興院芸術劇場小劇場で上演したこの作品は、『ゴドーを待ちながら』と『ドンキホーテ』を知る観客ならば、比較演劇の次元でまた別の面白さを得る公演である。舞台には一本の木が『ゴドー』のように立っているし、一方には「簡易移動式宿泊所」の立て札が見える。不条理劇『ゴドー』では登場人物たちがいっこうに現れない神(?)を待つが、彼らを囲む宇宙は無関心で不条理である。一方、別役の『諸国を』での人物たちの関係は、強い社会的現実性に対するひとつのアイコンとなる。劇中の社会的現実はまさに資本主義的社会をモデルにしたように、劇中人物である牧師と医者は本質的に商売人として描かれた。彼らにとって商売はひとつの生存戦略である。商売は生存のための万人に対する闘争戦略のうちのひとつであり、存在はすなわち闘争である。しかし興味深い点は作家はこのような存在論的・社会的闘争を一歩後ろに押しやり、余裕を持ってアイロニーな視角で観照しているという点である。

この作品におけるふつうに歩くことさえつらい二人の老騎士は、ゴドーに対峙するドン・キホーテ的人物としてたいしたアイロニーである。看護婦や医者、旅館の主人と彼の娘などが順番にとんでもない死に方をする、「殺さなければ殺される」生存闘争で、しかし最後まで生き残るのは二人の歳とった騎士である(日本のシニア観客層を考慮してのことか?)。『ゴドー』が神を待つのならば、この公演の人物たちは「死の連鎖」の中で自分の順番を待っている。すなわち生はまさに死の連鎖に閉じ込められているわけだ。そして老騎士はこのように語る。「私は殺すことに尽力してきたから生きている」。事実この公演の大きな面白さはこのようなとんでもない不条理感とアイロニーなセリフの相互作用を通じた言語ゲームにある。作家はこのような言語ゲームを緻密に操ることで、舞台の上でコミカルな効果を誘発させる。

韓国公演『諸国を…』の現場的面白さは、ソン・ソノ演出が若い感覚で構成した躍動感のある場面づくりにある。実際にこの公演のセリフはキメの細かい意味構造を下絵にする。したがって観客の性向によってはセリフの意味を思索するスタイルに向かうことも、静かな笑いを引き起こすスタイルに向かうことも可能だろう。しかしここ大学路の若い観客たちは何はともあれ感覚的スタイルにより食指が動くようであり、そのせいかソンの演出は公演の前半部で相当に視聴覚的訴求力と早いテンポを駆使した。反面、後半部の老騎士たちが登場してからはセリフの妙味を生かす方向に、テンポを適切なバランスで維持した。このような演出のリズム戦略は相当有効に作用したようで、若い観客たちが公演の始まりから頻繁な爆笑で応えた。

すなわちこの公演は観客受容の次元から相当に効果的な戦略として対処しており、ここにはイ・ホヂェとチョン・ムソンの老練で迫真感のある演技を公演の中心軸として、チョン・ドンファンとシン・ヒョンシル、パク・ヨンヂェ、オ・ギルスとイ・オビ、丁奎秀とチョン・ヂンギのキャスティングもシナジー効果として作用した。

ありふれて西洋の翻訳公演は、われわれと異なる情緒と文化的背景という障壁のために、文化的歪曲が意図的であれ非意図的であれ発生する。これに比べて日本の同時代演劇は『農業少女』や『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』の場合のみを見ても、文化的・情緒的な間隙がさほど多くないこととして現れる。作品選択の如何によっては日本演劇の国内公演が映画とは異なり現場的脚色の余地を容易に許容するという点で、またわれわれと文化的に多くの点を共有するという点で、どうかするとより大きな潜在的観客訴求力を持つのだろうかと考えてもみる。

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