セッションの帰り道で




『音楽療法』と言う言葉は
本当は矛盾しているかもしれない。
音楽は道具ではないから。

それを利用しようとした時、
その時すでにそれは音楽ではなく、
単なる物理的な音の羅列にすぎなくなる。

音楽を使ってその効果を期待したりなど
しないしない方が良いかも知れない。
ただ、限りないサウンドの中に
全身をすっぽりと漬すことはできる。

音と一体になること。
その結果として
いろいろなことが起きるかもしれない。

ある人は心が解放され、又ある人は
メロデイやリズムに言葉を重ねることが
でるようなるかもしれない。
でも、それはあくまでもひとつの結果。
決してそれを目的にしてはいけない。

なぜなら、そのような考えが
心の中に入り込んだその瞬間、
音楽ははるか彼方へ遠ざかってしまうからだ。
そしてその時から音楽は姿を変えてしまうだろう。


それを目的にしてしまった時、
音楽は手段になってしまう。
でも、
音楽は道具ではない。

心の中をからっぽにしてサウンドを楽しめる時、
音楽は自分のなかに、
刻々の体験として実在できるもの。

その時、
そこにはもう、「音楽療法」とか、
「リトミック」とかの意識はないと思う。
ただ、音楽があるみのみだ。

                 T.Koba


  

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